琵琶湖周航の歌・誕生100年♪「われはうみの子さすらいの」
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1917年(大正6年)、滋賀県高島市今津町で誕生した「琵琶湖周航の歌」が今年(2017年)100周年を迎えます。
美しい琵琶湖の風景から生まれた「琵琶湖周航の歌」は、今日まで多くの人の心を魅了し、歌い継がれてきました。
【執筆者】女性/滋賀
この記事の目次
琵琶湖周航の歌の誕生秘話
「琵琶湖周航の歌」は、旧制第三高等学校水上部(現在の京大ボート部)に所属していた小口太郎(おぐち たろう)が、琵琶湖周航の2日目に今津の宿でこの詩を仲間に披露し、当時 学生の間に流行っていた吉田千秋作曲の「ひつじぐさ」の曲にのせて歌ったのが始まりと伝えられています。
琵琶湖周航の歌の作詞者と作曲者
作詞者:小口太郎
作詞者、小口太郎(1897~1924)。
長野県出身で現在の京大ボート部の学生であった1917年6月 (当時19歳)、
漕艇中に「今日ボートを漕ぎながらこんな詩を作った」と仲間に披露、
頭脳明晰でその後、東大の物理学科に進学、在学中に「有線及び無線多重電信電話法」を発明、
研究に力を注いでおられたのですが、26歳の若さで亡くなりました。
作曲者の吉田千秋も24歳というこれからという時に亡くなっているのは、何という偶然でしょうか…
作曲者:吉田千秋
作曲者、吉田千秋(1895~1919)。
新潟県出身で、現在の東京農業大学で学びましたが、病気療養のため故郷に戻り、肺結核で亡くなりました。
多趣味で何にでも興味を持つ少年だったそうです。
聖書や賛美歌にも親しみ、幾つかの楽器を弾き、音楽は独学でしたが、作曲は教会音楽に接する中で育まれたと言われています。
「大日本地名辞書」を著した歴史地理学者、吉田東伍の次男であった事が後々判明しました。
2人のもう一つの偶然
2人とも若くして亡くなったという事と、もう一つスゴイ偶然があります。
吉田千秋は、未(ひつじ)年に生まれ、未年に逝去されています。
また、小口太郎が、今津から友人に出したハガキに「羊草の生えた池」とあり、当夜、作詞に合わせて歌った曲が「ひつじぐさ」…‼️
歌碑
画像元:http://tamutamu2011.kuronowish.com/syuukounoutakahi.htm
高島市今津町の「今津港」には、この歌の歌碑があります。
赤御影石で作られた歌碑には、歌の歌詞1番から6番までが刻まれています。
県内には、6カ所7つの歌碑が縁(ゆかり)の地に建立されています。
- 1番(大津市浜大津)
- 2番(大津市近江舞子)
- 3番(高島市今津町)
- 4番(長浜市竹生島)
- 5番(彦根市)
- 6番(近江八幡市)
3番の「今日は今津か長浜か」という歌詞は私個人的に身近に感じられよく口ずさんでいます。
♪浪のまにまに漂えば~赤い泊火(とまりび) なつかしみ〜 行方定めぬ 波まくら ~ 今日は今津か長浜か
琵琶湖周航の歌資料館
1998年(平成10年)「琵琶湖周航の歌」誕生の地として高島市今津町に「琵琶湖周航の歌資料館」が開館しました。
館内では、歌の経緯や作詞・作曲者に関する資料のパネル展示などが沢山あります。
当時のかなり詳しい資料が残されており、閲覧も自由に出来ます。
(余談になりますが)
作詞の小口太郎は、もし長生きをしておられたら、ノーベル賞も夢ではなかったのに、と言われたほどの大変有望な研究者でした。
何故 志半ばで若くして亡くなったのか…
誰もが思いますよね…
大正13年に亡くなっておられます。
その前年、徴兵検査に合格するのですが、軍隊に入ると研究が続けられなくなる事を悩み、心を病んでいた…
さらに、ある女性との結婚を強く考えていたが、中々思うように進まなかった…(そこには誤解や思い違いもあったかも、、、)
今みたいにすぐに連絡を取ったり確かめたりできなかった時代、今の若い人たちからは考えられない、そういう時代に翻弄されたとしか
言いようがありません。
吉田千秋も然り、当時結核は不治の病であったので、不運というか、時代も悪かった…>_<…
24歳の生涯は無念としか言いようがありません。
このお二人は、自分たちから生まれたこの曲が「琵琶湖周航の歌」として今も多くの人々に歌われている事を知らないのです。
本当に切ない気持ちになります(・・;)
カバーされ歌い継がれている
資料館には、たくさんの歌手や演奏家による「琵琶湖周航の歌」試聴コーナーもあります。
1971年(昭和46年) 加藤登紀子さんが歌われて大ヒットしました。
他にもペギー葉山さん、倍賞千恵子さんなど多くの歌手がカバー、合唱曲にも編曲されて歌われています。
画像元:http://www.geocities.jp/ikikansai_ryokoukenbunroku2/ryokoukenbunrokuno2/h19biwakosyuukousiryoukan.html
音楽祭合唱コンクール
高島市では、高島市民会館(今津町)で琵琶湖周航の歌 音楽祭合唱コンクールをこの歌が生まれた《6月》に毎年開催しています。
県内をはじめ近畿圏内、北陸、四国、九州、最近では関東まで参加団体が集まる合唱コンクールに発展し、2017年は100年周年記念として盛大に開催される予定です。
歌は、時を超えて…
この歌の作詞作曲者は、一度も会うことなく、この歌を世に残すために生まれてきたかのように若くして亡くなりました。
いくつかの偶然によって高島市で誕生したこの歌は、時代を超え、多くの人々の心の中で今も生き続けています。
周航当時、琵琶湖がとても綺麗であったからこそ、この歌が出来たとも考えられます。
この歌には琵琶湖の美しさがいつまでも次世代へ継がれるようにという願いがこめられているように感じられます。
周航には、旅立ってまた元に戻るという意味もあり、「琵琶湖周航の歌」100周年は新たな歴史の始まりになるかもしれません。
【執筆者】女性/滋賀