2012年紅白歌合戦で美輪明宏が唄った「ヨイトマケの唄」と「放送禁止歌」の経緯
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美輪明宏が2012年末の紅白歌合戦で唄ったのは「ヨイトマケの唄」です。
その内容の素晴らしさが話題になりました。
これほどのインパクトを聴く者に与える歌、しかも美輪明宏という有名人の唄う楽曲。
それにも関わらず低い知名度で、この放送で初めて知ったという方も多いと思います。
その理由は、この唄が複雑な歴史を辿ってきたからです。
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この記事の目次
ヨイトマケの唄の意味
まず「ヨイトマケの唄」の意味です。
聴いてお分かりのように、貧乏な家庭育ちの子供が、始めは母ちゃんの仕事のことでいじめられていました。
でも、そのがんばる姿を見て立派に成長します。
そして母ちゃんの唄っていた「ヨイトマケの唄」のことを思い出すという内容です。
ちなみに「ヨイトマケ」とは、昔、土木作業の機械化が遅れていた頃の言葉です。
労働者の力仕事で土木作業が行われていた時代。
地固めをするために、大勢で縦になった丸太の様なものを持ち上げて下ろすために使われた道具のことです。
そして、その作業する労働者のことでもあります。
「(縄を)よいっと巻け」から来ているなど、語源は諸説あるようです。
ここから転じて日雇い労働者そのものを指す言葉となっていたみたいです。
美輪明宏が今の姿ではなく、まだ若い頃のこと。
丸山明宏として男性の姿で活動していた時代に、自ら作詞、作曲した楽曲ということです。
画像元:http://2chnokakera.blog.fc2.com/blog-entry-647.html
しかしこの唄は、テレビで唄われることがほとんどありませんでした。
その理由はこの唄が「放送禁止歌」に指定されてしまっていたためです。
放送禁止歌とはどういうものだったのか
「放送禁止歌」とは、あとからつけられた名称です。
もともとは「要注意歌謡曲指定制度」という制度に基づいて指定されて、放送できなかった歌のことです。
この要注意歌謡曲指定制度というのは、戦後に民放連が定めたものです。
歌詞に暴力、身障者、毀損、エロ・グロなどが含まれていた場合の対応策です。
- ・放送しない=放送禁止
- ・旋律は使用可能
- ・該当表現削除で使用可能
この3種類の対応を民放がそろって実施することを推奨するというものだったようです。
これは法的拘束力も罰則もなかったのですが、事実上の禁止制度として機能していました。
ヨイトマケの唄も放送禁止歌に
そして「ヨイトマケの唄」も、この制度に該当してしまったのです。
たぶん「ヨイトマケ」「土方」「ヤクザ」などが差別語に相当するとされたから、と言われています。
ですがNHKでは、民放連に加入していないことから、何度か唄われたらしいです。
しかし、この紅白を聞かれた方にはとても奇妙な話に思えるでしょう。
なぜならこの曲は、その「ヨイトマケ」や「土方」で自分を支えてくれた母ちゃんを誇り、愛する歌であるのに、歌詞に出てくる単語が差別の言葉だとされているものであると指定されたのですから。
実際にこのような言葉があったということが理由で、放送が長期間されないなかったのです。
他の放送禁止歌
余談ですが、他の放送禁止歌に指定された楽曲の例として以下のようなものがあります。
加山雄三の「びっこの仔犬」は「びっこ」が入っていることからと思われます。
ですが、曲聞けば全然差別意図とかはないです。
岡林信康の「手紙」は同和問題が唄われていることです。
これは差別のために引き離される悲しい男女の歌です。
歌に差別意図はなく逆に差別を憎む内容なのです。
つボイノリオの「金太の大冒険」は下ネタオンパレードが理由です。
ですが深夜ラジオでは頻繁にかかっていたようです。
憂歌団の「おそうじオバチャン」は文字通りトイレのお掃除おばちゃんの歌です。
職業で該当したにしては禁止にする意識自体が逆に差別の様な気がします。
RCサクセションの「サマータイム・ブルース」は原発批判曲です。
放送禁止だけでなくCDの発売中止にまで発展しました。
これが放送禁止歌になっていた当時からすると、現在の原発報道に対するメディアでも緩くなった感じはします。
制度が終わってもそのまま続いた自主規制
しかし、1980年代にはこの要注意歌謡曲指定制度は自然消滅してしまったようです。
指定のリストはなくなりました。
しかし、その後も「各局の自主規制」という見えない基準が残っていました。
そこで、これらの歌や問題があるとされる箇所があると判断された楽曲が放送されることはほとんどなかったのです。
これが「自主規制」です。
つまり、誰も指定してないのに、問題を恐れて放送しない状態の恐ろしい現実だと思います。
そしてこの影響で作り手側が萎縮してしまった実例がいくつもあるのではないかと思います。
しかし、この唄のすごさに感動したアーティストが、1990年代後半からカバーという形で唄う機会が増えました。
泉谷しげる、米良美一、村上“ポンタ”秀一、桑田佳祐、槇原敬之等々です。
そしてその良さが広まっていくことで、この紅白に繋がった感じです。
でも、50年近く前に作られた曲で、かなりの年月がかかったとおもいます。
何のために規制が続いているのか
一方で、他の作品はどうなっているのか気になります。
一部の単語だけで歌や楽曲の全体を見ずに判断して、表現を規制するという行為。
これは残念ながら今でも残っています。
全く行われていないと断言はできないのです。
昔に比べたら、このような規制について異議を唱える番組を自ら作ったりもしています。
ですが、それでもまだこのような規制は音楽以外の分野でも数多く見受けられます。
野球アニメ「巨人の星」の再放送版もそのひとつです。
画像元:http://matome.naver.jp/odai/2139899730827379801/2139900276831072103
「父ちゃんは日本一の日雇い人夫」という言葉が削除されているとのことです。
全体を通して観れば、お父さんを誇る言葉なのに、その部分が削除されているのです。
このことは本末転倒の様に思えてしまいます。
言葉をタブー視するだけではなく、もっと本質を考える必要があるのではないかと思います。
言葉に罪はないのです。
それを発した人間の意図が問題だと思うのです。
つまり発した人間に意図があれば、どんな言葉も差別語になり得ます。
そして、差別意識がなければ、どんな言葉もそうならないと思うのです。
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