日本を代表するロックバンド「GLAY」について~デビューから今ままでの軌跡~
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GLAYは1994年デビューの日本を代表するロックバンドです。
1988年、ボーカルのTERU、ギターでありリーダーのTAKUROを中心に高校時代に結成。
その後、ギターのHISASHIが加入。
高校卒業後、バンドは上京。
しかし、メンバーがなかなか揃わない状況の中、1学年後輩のベースJIROが加入しGLAYが完成されています。
そんなGLAYのメンバー、デビューからの軌跡をまとめました。
この記事の目次
メンバーの役割と本名
ボーカル・・・TERU(小橋照彦)
出典:https://matome.naver.jp/odai/2144203789017928201
ギター・・・TAKURO(久保琢郎)
出典:http://shuichihatta-kisekinouranai.at.webry.info/200510/article_5.html
ギター・・・HISASHI(外村尚)
出典:https://matome.naver.jp/odai/2138166949827423101
ベース・・・JIRO(和山義仁)
出典:https://matome.naver.jp/odai/2142623909472229601
サポート
ドラム・・・TOSHI(永井利光)
出典:http://ameblo.jp/happynabechan/entry-11513468733.html
キーボード・・・永井誠一郎
出典:http://okmusic.jp/news/73737
サポートドラムの永井利光は、初期の頃から、ほぼ全ての楽曲を叩いている。
また、過去にはGLAYの他にも、あの「氷室京介」のサポートドラム行なっている。
GLAYは実力派揃い
氷室京介曰く、
「ロサンゼルス中を探しても、TOSHIのように正確で力強い8ビート(エイトビート)を叩ける奴はいない」
とまで言わしめた実力派。
キーボードの永井誠一郎は、ライブなどではキーボードの他にも、サックスやコーラスまで担当する多様ぶりです。
ドラムの永井利光と同姓であり、GLAYファンからは「W永井」として親しまれています。
GLAYのデビューから現在
GLAYは1988年、XJAPANのリーダーYOSHIKIにその実力を認められ、YOSHIKIが社長を務める、「エクスタシーレコード」からデビュー。
デビュー曲は「RAIN」。
このRAINは、TAKUROがYOSHIKIに直談判して了解を得た楽曲。当時、XJAPANのYOSHIKIが作曲したという事もあり注目を集めた。
その後、アニメ「ヤマトタケル」の主題歌となった、「真夏の扉」など様々に活動。
その後、今やライブでは欠かせない「彼女の”Modern…”」や「Freeze My Love」「ずっと二人で・・・」などの楽曲を発表。
そして、8thシングル「グロリアス」で自身初のオリコン4位を獲得。
シングル初のトップ10入りをする事となる。この「グロリアス」で一気に日本中にGLAYの名前が知れ渡る事となりました。
その後も、「BELOVED」「HOWEVER」など、今でも有名な楽曲が誕生します。
そして、当時テレビなどでも取り上げられた、1999年「GLAYEXPO’99」が開催。
このEXPOでは、日本国内の単独ライブでは初となる観客動員数20万人を動員。
俗に言う「20万人ライブ」となり、今でもこの記録は破られていません。
その後も、GLAYの活動は精力的に続き、現在は日本を代表するロックバンドとまて言われるように成長しました。