バロック音楽に魅せられて ~ ドイツ3大Bの一人 【 バッハ 】~ ピアノ動画あり
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音楽史上 『 ドイツ3大B 』と呼ばれている作曲家って…
ご存知でしょうか?
- Bach ( バッハ )
- Beethoven ( ベートーヴェン )
- Brahms ( ブラームス )
の3人です。
今回は、その中の「 音楽の父 」と呼ばれたバッハについて書いてみようと思います。
【執筆者】ピアノ教師/50代女性/滋賀
この記事の目次
音楽史でいうと…
この偉大な3人の作曲家は、生きた時代がそれぞれ違います。
バッハはバロック、ベートーヴェンは古典派、ブラームスはロマン派、という時代に活躍しました。
バッハの死後20年経ってベートーヴェンが生まれました。同じドイツですが、2人は出会っていません。
ちなみに、ベートーヴェンとブラームスも出会っていません。それぞれの時代に活躍した『ドイツ3大B』と言われた3人、その人生、その曲たちは 今も尚 多くの人に愛され続けています。
バッハの音楽
バッハの時代の音楽を「 バロック音楽 」といいます。
バッハの音楽は、実は…何年も経ってから高く評価され、今日に至っています。当時はバッハの死後 すっかり忘れられてしまったというのですから 何とも信じられないことなのですが…
先ず、バッハの生涯を辿ってみましょう。
ヨハン・セバスティアン・バッハ
『音楽の父』と呼ばれたヨハン・セバスティアン・バッハは「J.S.バッハ」と略記されたり、「大バッハ」とも呼ばれています。
また、ドイツ語では「ゼバスティアン」というそうですが、「セバスティアン」と明記されてる事も多いので、ここでは、「セバスティアン」と書きました。
バッハの生い立ち
出典:http://blogs.yahoo.co.jp/portowine2004/21791680.html
バッハは、17世紀後半の1685年 ドイツのアイゼナハという町で生まれました。
8人兄弟の末っ子で、バッハの家系は代々すぐれた音楽家を輩出、200年の間に50人以上もの音楽家が出てドイツ各地で活躍しました。
バッハも父親に音楽を習い 常に兄弟やいとこの演奏する音楽を聴いて育ったといいます。
ところが、9歳の時に突然の不幸が襲いました。母親が亡くなり、翌年には父親も亡くなってしまったのです。
10歳だったバッハは、14歳年上の長兄に引き取られ音楽の勉強を続けました。
バッハは子だくさんで有名
18歳で教会のオルガニストになったバッハは22歳で結婚しました。
翌年、ワイマール宮廷オルガ二ストになり、その後ケーテンの宮廷楽長に出世しました。
また、たくさんの子宝に恵まれ、子供たちにも音楽を教えていましたが最初の妻は病気で亡くなり、再婚したバッハは 2度の結婚で20人もの
子だくさんに…
再婚した妻は声楽家で、《アンナ・マグダレーナ》という名前でした。この名前が付いた小曲集があります。
「アンナ・マグダレーナのためのクラヴィーア小曲集」の中に有名な「メヌエット」が入っていてピアノ学習者の必須の曲となっています。
動画・メヌエット2曲
有名なバッハのメヌエットを2曲お聴きください。
バロック時代の音楽家は カツラ
バロック時代には宮廷・教会ともに器楽曲が盛んになり多声音楽が完成しました。
バロック時代の音楽家は皆カツラを付け正装して演奏していたと言われています。
そう言えば、バッハの あの髪型ですが、やはりカツラだったそうなのです。
当時の作曲家の肖像画を見ますと、ビバルディもヘンデルも やはり同じような髪型です。
バロック時代の楽器
バロック時代には オルガンが主でした。バッハは、オルガン曲を多く作曲しました。「小フーガト短調」は大変有名です。
バロック時代には、チェンバロという鍵盤楽器も栄えました。この楽器は鍵盤を押すとジャックという棒に付いた爪が弦をはじいて音を出す仕組みなので強弱が自由に表現できません。
チェンバロという呼び名はイタリア語で、英語ではハープシコードと呼ばれています。
今日でもバロック音楽の演奏会では、ピアノではなく、チェンバロ(ハープシコード)で弾かれることも多々あります。
バッハの息子達
バッハの子だくさんは有名ですが、300年以上も前ですから、多くは幼い内に世を去っていますが、成人した息子の何人かは、音楽家として成功したと伝えられています。
バッハの息子達も当時のドイツでは大変有名だったそうです。その中でも、末っ子のヨハン・クリスチャン・バッハは神童モーツァルトに大きな影響を与えたとか…
生前のバッハ(ヨハン・セバスティアン・バッハ)は、国際的に活躍した息子達の父親として知られた存在にすぎず、次の世代の古典派からは、「バッハの音楽は古い」「時代遅れ」と見なされ認められなくなってしまったとか…
バッハの晩年…
バッハは、1749年・64歳の時、脳卒中で倒れました。その前から患っていた目の病気もあり視力は殆ど失っていたそうです。
今から300年以上も昔ですから、手術を受けたけれど視力は回復せず、治らなかったといわれています。1750年・65歳で亡くなりました。
バッハの音楽が甦るまで…
バロック音楽は17世紀~18世紀中頃で終わり、バッハが亡くなった1750年には次の時代の ハイドン も生まれており、時代は古典派へと変わりました。
バッハの死後その音楽はすっかり忘れられてしまいましたが、息子達やその後の音楽家達によって細々と受け継がれていき、1829年 メンデルスゾーンの指揮でバッハの「マタイ受難曲」がベルリンで上演されました。
それをきっかけに高く評価されるようになったと言われています。
「100年も前に こんな曲を作曲したバッハは凄い!」
バッハの音楽が甦るまでに何と 100年も かかったのです。
バッハの代表作・平均律
では、最後に、バッハの代表作とされピアノ学習者の必須の「平均律クラヴィーア曲集」の中から、第1巻 第1番の《プレリュード》をお聴き頂きまして、ひと時バロック音楽の世界へ、バッハに心を寄せてみてください(^^)
【動画 ・ 平均律クラヴィーア曲集よりプレリュード】
音楽の父
バロック音楽の巨匠・ヨハン・セバスティアン・バッハは、のちのハイドン、モーツァルト、ベートーヴェンなど、後世の作曲家に大きな影響を与え、「音楽の父」と呼ばれています。
バッハは、ドイツ語で「小川」という意味ですが、ベートーヴェンが「バッハは小川ではなく大海である」と言って尊敬していたという話が伝わっています。
バッハは現在でも生きている
ドイツ3大Bの最初の1人で、言うまでもなく古典派の次の時代=ロマン派のメンデルスゾーン、ショパン、ブラームス等、名だたる作曲家達も多大な影響を受けています。
また、現代の音楽の世界で「バッハは必ず学ばなければならない」とまで言われています。
バッハは現在でも生きている。
そして、これから先も、どの作曲家よりも長く生き延びるのではないかと思うのです。
【執筆者】ピアノ教師/50代女性/滋賀
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