聴覚を失うという苦悩と闘った作曲家 ~ ベートーヴェン & スメタナ ~
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音楽家にとって命と同じくらい大切な「耳」。
ところが音楽史上 有名な作曲家の中に、この耳を悪くしてしまった人がいます。
ベートーヴェン と スメタナ です。
けれど、この二人は、そのことで作曲を諦めたりはしませんでした。
それどこか、二人の残した名曲の多くは耳を悪くしてから書かれたものなのです。
聴覚を失っても、作曲家達に大きな影響を与え続けた二人の闘い・音楽人生とはどういったものだったのでしょうか。
出典:http://www.ymm.co.jp/pianorg/composer/95 ・ http://www.ymm.co.jp/pianorg/composer/47
【執筆者】ピアノ教師/50代女性/滋賀
この記事の目次
古典派を代表する作曲家 ベートーヴェン
先ず ベートーヴェン (1770~1827) ですが、誰もが知っている《古典派》を代表する作曲家です。
ドイツのボンで生まれ、祖父は宮廷楽団の楽長、父はテノール歌手という音楽一家でした。
早くから才能を発揮し、父親から「第2のモーツァルト」にと音楽の手ほどきを受け期待されて育ちました。
16〜17歳の時、ボンから音楽の都ウィーンへ出かけた時に、当時31歳のモーツァルトから、その才能を認められたといわれています。
その後、ハイドンにも作品を見てもらったりしています。
古典派の作曲家たち
先ず、交響曲の父と呼ばれた ハイドン
神童と呼ばれた モーツァルト
そしてモーツァルトより14〜15歳年下の ベートーヴェン
という順番で、他にソナチネでお馴染みの クーラウ や クレメンティ が有名です。
失われていく聴覚
ピアニストとしても作曲家としても評判が高なる中でベートーヴェンに大きな不幸が訪れました。
20歳代後半から耳の病にかかり、音楽家として最も大切な聴覚を徐々に失っていくのです。
1802年、32歳の時、ウィーン郊外のハイリゲンシュタットで遺書を書きます。
しかし、その苦悩を乗り越え、今まで以上に作曲に力を入れ、交響曲第5番「運命」も彼の強い精神が絶望を乗り越えた後に生まれた作品です。
交響曲第9番(合唱付き)も同様で、「第九」と呼ばれ多くの人々に愛されています。
「人は苦しみに耐え、それに打ち勝ってこそ愛と喜びが生まれる」
という思想が込められていると言われています。
苦しみの中から生まれた音楽
40歳頃には全聾となり、また慢性的な腹痛の持病もあり、加えて非行に走った甥カールの後見人として苦悩するなどして、一時作曲が停滞したのですが、そうした苦悩の中で9曲の交響曲、32曲のピアノソナタ、ピアノ協奏曲などを次々と作曲しました。
また、ピアノ曲の小品「エリーゼのために」もベートーヴェンの作品です。
エリーゼのために
実はこの曲の原譜は、ベートーヴェンの死後40年も経って発見されたそうなのですが、この「エリーゼ」という名前が、本当は「テレーゼ」という貴族の令嬢だったのではないかという説があります。
何しろ彼の字は悪筆だったため、読み間違えられたのではないかと言われています。
テレーゼに結婚を申し込んだそうなのですが、この恋は実らず思い出を秘めたまま埋もれてしまったと伝えられています。
今回は「エリーゼのために」を聴いてベートーヴェンの生涯に思いを寄せてみて下さい。
ベートーヴェン 56年の生涯
1827年・3月
ベートーヴェンの葬儀には2万人もの人々が駆けつけるという異例のものであったと伝えられています。
人々は、彼のことを「楽聖」と呼びました。
そう呼ばれるのは、世界の大作曲家の中でベートーヴェンただ一人なのです。
古典派からロマン派へ
ベートーヴェンの功績は古典派音楽を完成させると共に、次のロマン派音楽の扉を開けたというところにあります。
こうして次のロマン派の時代が始まり、ロマン派の後期に「国民楽派」という時代があります。
その代表的な作曲家にスメタナがいます。
聴覚を失った作曲家 スメタナ (1824~1884)
スメタナも聴覚を失った作曲家です。
ベートーヴェンが亡くなる3年程前にチェコで生まれています。
スメタナの代表作は「モルダウ」です。
スメタナという名前を知らない人でもモルダウのメロディーはご存知なのではないでしょうか…
連作交響詩『 我が祖国 』より
《交響詩》とは、物語や情景などをオーケストラによって表現する音楽のことです。
『我が祖国』は 6曲から成り、「モルダウ」は第2曲目にあたります。
モルダウ(チェコ語では「ブルタバ」)というのはチェコの中心を流れる川の名前で、祖国愛がいっぱいの作品です。
当時のチェコは独立した国家ではなく、オーストリア帝国の強い支配を受けていたということもあり、スメタナは祖国への思いに満ちた作品を作曲し続けました。
この曲では、祖国の姿がモルダウ川(ブルタバ川)の流れに沿って描かれています。
モルダウ 光に輝きながら川幅を増す
楽譜の初めには情景を表す文章が付いています。
一番有名なメロディーを弾いてみましたので是非お聴き下さい。
モルダウの主題にあたるメロディーです。
[光に輝きながら川幅を増す]
オーケストラでは 第1バイオリンとオーボエで弾かれます。
チェコ国民音楽の父
スメタナもベートーヴェンと同様、幼い頃から才能を発揮し「チェコ国民音楽の父」と呼ばれていますが、晩年 聴覚を失ったといわれています。
1874年、50歳の頃、健康状態が悪くなり、その時 右耳は完全に失聴しており、間も無く左耳も失聴、それでも作曲を続けたと伝えられています。
60歳で亡くなりましたが、晩年は色々な病との闘いであったようです。
聴覚を失っても…
この二人の作曲家は、中途失聴者になるという不幸に見舞われたのですが、苦悩しながらも作曲を続け、後に続く作曲家達に大きな影響を与えました。
今回はベートーヴェンとスメタナの人生を知る事によって、今を生きる私達にも学ぶ事が多くあるように思います。
クラシック音楽 (^^) ブラボー!
音楽史上どの作曲家も その人生を懸命に生き名曲を残しました。
時代が変わっても尚 愛されている【クラシック音楽】って、やはり「素晴らしい」の一言に尽きますね。