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グスタフ・マーラーは西暦1860年から1911年を生きた作曲家です。
オーストリア帝国の現在でいうとチェコの小さな村にユダヤ人の子として生まれました。
高名な作曲家の多くが、親も作曲家であるなどの環境であることが多いのですが、マーラーの場合は父親は酒造業で成功した人物で、どちらかと言えば音楽家とは縁が薄い家庭環境でした。
出典:http://beethovendminor.web.fc2.com/mahler1.html
【執筆者】50代前半男性/青森
この記事の目次
マーラーの生い立ち
5歳の時、祖父母の家でピアノをいじっているグスタフを見た父親は、彼が音楽的な才能に恵まれていると感じ、その道を歩ませようと決意します。
上の兄弟が次々と早世し、グスタフは実質的に長男として育てられていたので、父親のこの英断がなければ、人類はマーラーの作品に接することができなかったかもしれないのです。
指揮者としての活躍
出典:http://www.amazon.co.jp/指揮者マーラー-中川-右介/dp/4309273181
今でこそ作曲家として知られるマーラーですが、生前は指揮者として高名でした。
38歳の若さでウィーン・フィルの指揮者に就任します。
しかし、余りの完璧主義が災いしたのか、楽団員との間に次第に軋轢が生まれます。
折悪しく、反ユダヤ主義の風潮がウィーンで強まる中、41歳の時にこの職を辞することになるのです。
指揮者時代も作曲はしていたのですが、ウィーンではほとんど相手にされませんでした。
しかし、ウィーンフィルの指揮者を辞して以後、作曲家としての比重が大きくなっていきます。
「病気にする」音楽
彼の作曲は、ほとんど歌曲と交響曲でした。
そして、この二つは独立したものでなく、常に交わっています。
歌曲集「少年の不思議な角笛」にある旋律は、第2交響曲「復活」、第3交響曲、第4交響曲でも使われており、この3つの交響曲は「角笛3部作」と呼ばれることもあります。
雲の切れ間から差し込む日光のように天界の法悦のごとき美しい旋律がある一方、死を暗示する半音階の下降、楽器を一度に鳴らすいわゆる「騒音効果」など、心をかき乱し、不安にする旋律が多いのも特徴です。
誰かが「マーラーは病気にする」と語ったのもむべなるかな、という感じです。
先ほどの「少年の不思議な角笛」にも、牧歌的な題名とは裏腹に、陰惨極まりない曲が少なくありません。
「惨殺された鼓主」はその頂点といえる作品です。危険と隣り合わせの、ある意味ではフグのような音楽といえます。
よるべなき魂
彼はこう語っています。
「私は三重の意味で故郷がない人間だ。オーストリア人の中では、ボヘミア人、ドイツ人の中では、オーストリア人、そして全世界の国民の間ではユダヤ人として」
しかも、19歳年下のアルマと結婚する際にユダヤ教からカトリックに改宗しているため、ユダヤ人からも見ても異教徒なのです。
運命に抗い・・・
音楽界で有名なジンクスに「第9の呪い」があります。
ベートーベンやドボルザークが第9交響曲を作曲して亡くなっていることから、「交響曲を9曲作ると死ぬ」というものです。
考えてみればこの二人くらいしか例はないのですが、娘の死、健康状態の悪化などでこのジンクスを信じたマーラーは、9番目の交響曲を「大地の歌」と名付け、「第9」とするのを避けました。
全楽章に歌唱を含むという、前例のない交響曲となったこの曲自体、「生は暗く、死もまた暗い」という救いのない冒頭部の叫びに始まり、最終楽章の演奏も消え入るような弦楽器のみの演奏で終わりを告げるという、「病気にする」という彼の面目躍如(?)たるものです。
そして、この後、運命に立ち向かうように「第9」交響曲を作った彼は、心臓の病で帰らぬ人となります。
運命に抗って敗れ去ったかのような最期でした。
生前、の彼が自分の作品を自ら指揮して成功したのは「一千人の交響曲」だけでしたが、死後に評価された彼の音楽は、不滅の足跡となって残りました。
【執筆者】50代前半男性/青森